改良工事の進捗
道路交通を重視する政策展開の中で、新規鉄道路線の建設は停滞していた。しかしその陰で、既存路線の改良工事が地道に続けられていた。1950~1980年までの期間、新規の路線開業は700km弱であったが、既存路線の改良は500km近くに及んだ。
アンカラ-イスタンブル間の改良工事
イスタンブルから小アジア各地へ向かう列車は、ゲブゼ(Gebze)付近からイズミット(İzmit)付近まで海岸沿いの線路を走る。ゲブゼからイズミット付近の区間は、1975年に複線化工事が完成した。
この区間で車窓に目を凝らしていると、現在列車の走る線路の脇に、放棄された廃線跡の古い路盤が残っていることに気付く(写真上)。多くの区間でよりカーブの少ない新しい路盤が建設され、丘陵地帯の縁の海岸沿いを進んでいた線路は、複線の線路を通す断面の大きなトンネルでショートカットされた。既存の線路際にもう1本線路を敷設するという単純な工事ではなかったのである。
アンカラ-イスタンブルを結ぶ幹線は、この時代にとりわけ目立った改良が行われた区間である。「表1」にアンカラ-イスタンブル間で実施された改良工事をまとめた。
アンカラ-イスタンブル間567kmの半分以上に相当する距離にわたり、線路の付け替えや複線化といった改良工事が実施されている。アンカラの郊外電車区間を中心に一度改良された区間が後年さらに改良されるケースもあり、工事区間の総延長の数字は若干重複を含んでいるものの、事業が大規模であったことは理解いただけると思う。
1949年に完成しているイスタンブル-ゲブゼ間の複線化工事を含めると、改良区間はさらに延びる。また、この表には現れないが、電化工事も実施されている。19世紀に完成したアンカラ-イスタンブル間の鉄道は、20世紀の後半に大きく作り替えられた。
区間 | 内容 | 年 | 延長(m) | 地域 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
Haydarpaşa-Gebze | 複線化 | 1949 | 44175 | アリフィエ-イスタンブル | 郊外電車区間 |
Esentkent-Sincan | 付け替え | 1957 | 2575 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Beylikahır-Yalınlı | 付け替え | 1957 | 4531 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Yenidoğan-Temelli | 付け替え | 1957 | 1415 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Esenkent- Sincan | 付け替え | 1957 | 2396 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Çardakbaşı-Beylikahır | 付け替え | 1957 | 3316 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Etimesgut-Behicbey | 付け替え | 1961 | 6124 | アンカラ-エスキシェヒル | 郊外電車区間 |
Esentkent-Sincan | 付け替え | 1963 | 3056 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Gazi-Ankara | 付け替え | 1965 | 544 | アンカラ-エスキシェヒル | 郊外電車区間 |
Esenkent-Sincan | 付け替え | 1965 | 3239 | アンカラ-エスキシェヒル | |
İğciler- Polatlı | 付け替え | 1965 | 692 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Esenkent-Malıköy | 付け替え | 1966 | 1440 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Karapınar-Yenidoğan | 付け替え | 1968 | 12000 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Sapanca-Arifiye | 付け替え | 1970 | 6304 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Sincan- Kayaş | 複線化 | 1970 | 24000 | アンカラ-エスキシェヒル | 郊外電車区間 |
Sazak-Bicer | 付け替え | 1972 | 13958 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Sazılar- Bicer | 付け替え | 1973 | 12802 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Bicer-İloren | 付け替え | 1974 | 9231 | アンカラ-エスキシェヒル | |
İloren-Sazılar | 付け替え | 1974 | 1035 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Yalınlı-Yunusemre | 付け替え | 1974 | 12438 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Yunusemre-Sazak | 付け替え | 1974 | 3045 | アンカラ-エスキシェヒル | |
Gebze-Arifiye | 複線化 | 1975 | 79752 | アリフィエ-イスタンブル | |
Ankara-Gazi | 3線化 | 1977 | 5015 | アンカラ-エスキシェヒル | 郊外電車区間 |
Ankara-Behicbey | 複々線化 | 1984 | 8665 | アンカラ-エスキシェヒル | 郊外電車区間 |
Bozuyuk-İnönü | 付け替え | 1985 | 5161 | エスキシェヒル-アリフィエ | |
Eskişehir-İnönü | 複線化 | 1996 | 31000 | エスキシェヒル-アリフィエ |
本表はトルコ国鉄が公表している路線延長資料をもとに作成した。原資料では一般的な地図に現れない地名が多く含まれている。位置を把握しやすいよう、アンカライスタンブル間を3分割し工事区間を地域ごとに分類している。
原資料では前述したゲブゼ-イズミット付近のように、複線化と同時に線路の付け替えが行われた区間が把握できない。本表はさらに実地の検証が必要な部分を残している。
国境路線の改良と新設
鉄道建設が停滞していたこの時期、隣接国と接する国境周辺の路線には大幅な改良が加えられている。このうちバグダッド鉄道として建設された東南部の路線とエディルネ付近については、国境により鉄道路線が分断されるという問題も抱えていたことから、別項目を設けて記述している。ここでは、その他の改良事業をみてゆく。
サルカムシュ-ソ連国境
サルカムシュ(Sarıkamış)-カルス(Kars)-ソ連国境を結ぶ123kmの区間は、トルコ共和国成立以前の1913年に完成していた。この区間はロシアによって建設され、共和国成立後すぐにトルコの所有となった。当初はその他の鉄道と接点を持たない孤立区間であり、1951年になってようやく、アンカラ、エルズルム方面から延伸されてきたコーカサス幹線と接続された。
しかし、コーカサス幹線と接続された後も、厄介な問題が残されていた。ロシアによって建設された区間は、他の路線とゲージ(線路の幅)が異なっていたのである。
トルコで使用されている標準的なゲージは、ヨーロッパ諸国と共通の1435mmである。一方、ソ連(ロシア)の標準ゲージは1524mmであり、サルカムシュ-ソ連国境の区間もこのソ連の標準ゲージで建設されていた。コーカサス幹線と接続されたものの、このままでは列車の直通は不可能である。
エルズルム方面から延伸されてきた路線と接続されてから10年を経た1961年、サルカムシュからカルスまでの区間が1435mmゲージに改築される。翌1962年にはカルスからソ連国境までが改築された。ゲージの改築により、はじめてソ連国境までトルコ領内すべての区間に直通列車を走らせられるようになった。
シリア国境
バグダッド鉄道の一部として計画され、もともとは全線がトルコ領内にあった東南部の路線は、その一部がシリア領になってしまった。新しいシリアとの国境地帯では、ダム建設に伴い路線の付け替えが行われている(1972年)。
付け替えが行われたのはイスラヒエ(İslahiye)-メイダンエクベズ(Meydanekbez)間であり、タフタキョプリュ(Tahtaköprü)ダムの建設による水没区間を迂回させるため、21kmのバイパス線が建設された。付け替えと同時に勾配や曲線の改良も実施された模様だが、詳細は明らかではない。
イスラヒエまではアダナ方面から1日数往復の列車が運行されているが、付け替え工事が行われたシリア国境に接する区間は、通過する列車もわずかである(2004年の時点でダイヤに表記されている列車は週2往復)。建設の時点ですでに交通の重点が道路に移行していたことや、東南部の孤立区間を解消する路線が完成していたことを考えると、わざわざ線路を付け替えてまでこの路線を維持したことは不可解である。ダムの建設により廃線となっていたとしても、まったく不思議ではない区間だ。
イラン国境
イラン国境に向けた鉄道建設は、第二次世界大戦後に本格化している。エラズー(Elazığ)から順次路線が延ばされ、1955年にはムシュ(Muş)まで、1964年にはヴァン湖(Van Gölü)西岸のタトヴァン(Tatvan)まで鉄道が到達した。
さらに、1971年にはヴァン湖東岸の都市ヴァン(Van)からイラン国境までが開通した。この区間の建設延長は比較的長く、116.7kmに達している。
しかしこの区間は、未だにトルコの鉄道路線と接続していない孤立区間である。ヴァン市街地の外れにあるヴァン桟橋(Van İskele)からヴァン湖の対岸タトヴァンまでは、列車を連絡船に積載して湖を渡っている。
連絡船を利用することで、一応は直通列車が確保されているものの、その非効率ぶりは目に余る。自動車ならば2時間前後で移動できるヴァン-タトヴァン間だが、連絡船では4時間30分を要している。さらに、連絡船への客車・貨車の積み卸しにかかる時間が上乗せされる。列車がタトヴァンに到着し連絡船で湖を渡り、ヴァン桟橋からイラン国境に向けて再び走り出すまでのトータルでは、8時間を超えてしまう。
列車によるダイレクトな連絡を実現することが急がれてしかるべき区間にも関わらず、連絡船の利用を回避する路線の建設には手が付けられていない。
シリア国境付近、イラン国境付近の工事はその意図が今ひとつ明確ではないが、1960~1970年代にかけての時期、国境を通過して隣接国とつながる路線すべてについて、なんらかの改良工事が行われたことになる。