新しい国境線
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ローザンヌ条約で確定した新しい国境線は、メリチ川(Meriç Nehri: マリツァ川: エブロス川)を境界とし、左岸をトルコ領、右岸をギリシャ領とするものであった。
しかし、エディルネ市付近においては、市街地が両岸に広がっていることを考慮してか、例外が設けられた。エディルネ市街から見てメリチ川の対岸(右岸)、カラアーチ(Karaağaç)地区までがエディルネ市域、すなわちトルコ領となった。エディルネ駅はこのカラアーチ地区にあった。
イスタンブルからエディルネを経由しブルガリアに至る列車は、4回も国境線を横切ることを余儀なくされた。当時イスタンブルを出発した列車は以下のようなルートを辿っていた。
- ウズンキョプリュ(Uzunköprü)の北西、デミルキョプリュ(Demirköprü)でメリチ川を渡りギリシャ領に入る。
- ギリシャ側に入ったピチオン(Pithion)でアレクサンドロポリス方面からの線路と合流し、ギリシャ領内を北上。
- エディルネ駅の手前数kmの地点で、再度トルコ領に入る。
- トルコ領エディルネ市カラアーチ地区のエディルネ駅に停車。
- エディルネ駅の先数kmでメリチ川の支流アルダ川(Arda Nehri)を渡り再びギリシャ領内へ。
- メリチ川右岸のギリシャ領内を西へ進む。
- スヴィレングラード(Svilengrad: ブルガリア領)の付近でブルガリア領に入り、プロウディフ(Plovdiv)方面へ。
確証は取れていないものの、聞き取りを行った範囲では列車がこのような経路を辿っても(イスタンブル方面からエディルネ間の乗客に対して)出入国手続きは行われず、回廊列車の扱いであったようだ。先に示したLonely Planetでも、この区間ではギリシャの国境警備隊が列車に添乗していたという記述をしており、出入国手続きについては触れていない。
もし出入国手続きがその都度必要ならば、ギリシャの官憲に身柄を拘束される前にトルコを出国することができないはずであり、このエピソードが成立しなくなってしまう。トルコ側の出入国管理がこのような「逃走者」をわざと見逃していた、という考えもあり得るが、この場合にもトルコ側に送還するのが自然な手続きの流れであり、ギリシャ側の官憲が身柄を拘束するというのは考えにくい。
身分証明書の提示は必要だが、乗客にとって目立った不利益はなかったのかもしれない(身分証明書はトルコ国内の旅行でも携帯が必要である)。しかしながら、一本の鉄道路線が国境線により幾重にも分断されていることは不自然であり、不便が生じることは十分に予想されていたと考えられる。事実、1929年には当時この路線を所有していたオリエント鉄道とトルコ共和国政府の間で、ギリシャ領を経由しない新路線の建設が合意されている。
鉄道路線と国境線
共和国成立時の国境線と完成していた鉄道路線。イスタンブルからエディルネ行きの列車はギリシャ領内を経由せざるを得なかった。