取材ノート

ループとトライアングル

キュタフヤは弊サイトが別コンテンツで強力なプロモーション活動を展開してきた街だ。キュタフヤの住民には、特段の便宜供与も受けていないのに、よくぞここまでやるものだと呆れられているほどである。

この街は古くから交通の要衝で、1894年には鉄道が引かれた。今日でもトルコ国鉄の多くの列車がここを通過する。イズミル-アンカラ、イスタンブル-コンヤ、イスタンブル-デニズリなどの間を結ぶ列車だ。

ところで、ツーリストの多くが手にして旅行するであろうトルコ政府観光局の地図でキュタフヤ周辺を見ると、線路が下図のように描かれている。

イスタンブルからデニズリ(Denizli)へ向かう列車や、アンカラからイズミルへ向かう列車は、地図の右上からキュタフヤに近づき、右下のさらに先にあるアフヨン(Afyon)へ抜ける。これはきっとスイッチバックしてキュタフヤに立ち寄るに違いなさそうだ。筆者が住んでいる藤沢市でも、小田急線の線路は同じように敷設されており、新宿から江ノ島行きの列車は藤沢駅で向きを変えざるを得ない。

というわけで、イスタンブルからデニズリへ向かう夜行列車に乗車したとき、じっと様子を窺っていたのである。筆者はこういうことが気になり出すと確認できるまで眠れなくなるたちだ。個室の寝台車を確保していたにもかかわらず、酔狂な話である。

さて、列車は夜半のキュタフヤ駅に停車した。イスタンブルから乗車してきた出張帰りや親戚を訪問した帰りの客が大勢下車し、深夜にも関わらず駅は相当賑わっている。

ところが、列車は向きを変えることもなく、そのまま走り続けた。そして、持ち込んでいたラクの瓶は空になり、夜は白々と明けた。

さて、後日トルコ国鉄の詳細な時刻表を入手し、この謎の一端が解き明かされた。該当するページを引用してみる。

日本人が一般に抱く読図の感覚とは三角形の向きが上下逆であるものの、意外な線路の敷設をされていることがお分かりいただけよう。イスタンブルを出発しキュタフヤ経由でデニズリに向かう列車は、アラユルト(Alayurt)、キュタフヤ、アラユルト・ミュセレス(Alayurt Müselles)、アフヨンという順番に止まってゆく。

アラユルト・ミュセレスの「ミュセレス」とは、直訳すると「トライアングル」という意味になる。上で示したトルコ国鉄の時刻表では大幅に誇張されているが、現実にはトライアングルの直訳どおり、アラユルト・ミュセレス付近の1kmにも満たない範囲に三角形の線路が敷設されているそうだ。

そして、さらに驚くべき事実が判明した。それはキュタフヤ市内における線路の敷設のされ方だ。キュタフヤ県の観光課が配布している市街地の地図を引用する。

キュタフヤ駅の前後の区間は、ループ状に線路が敷設されているのだ。この地図の縮尺から読みとると、ループの半径はおよそ300mである。これにはプラレールも真っ青だ。市街地のはずれに敷設されたこのループを一回りすること、およびアラユルト・ミュセレス付近に敷設されたトライアングル状の線路のおかげで、キュタフヤ駅に立ち寄る列車は向きを変えずに済むようになっている。

トルコ国鉄の路線には、西村京太郎が十津川警部を登場させるのに打ってつけの材料が揃っている。そしてこのエピソードの背後には、動力分散方式と動力集中方式の相違という、海外の鉄道に関わる争点を取り上げる際に無視できない要素がある。(この話題はまた今度、というかまだよく理解できてない)

現地の写真

イスタンブルからの列車がキュタフヤへ到着する際の車窓をご紹介する。写真は本稿公開後の2005年に撮影したものである。

アラユルト分岐点

アフヨン方面への線路が進行方向左側に分岐。撮影している列車は、キュタフヤ駅に向かう右側へ分岐する線路へ。

キュタフヤ駅からアフヨン方面へ直行する線路が右手から延びる。小さな建物がアラユルト・ミュセレス。乗客が乗り降りする設備はないようで、信号場といったところだろう。遠方には先ほど分岐した、エスキシェヒル(イスタンブル)方面からアフヨンへの線路が左から続いているのが分かる。

キュタフヤ駅分岐点

キュタフヤ駅からの線路が進行方向左手前方より合流。撮影している列車は右側に分岐する線路に入り、ループを大回りしてキュタフヤ駅に向かう。このループ区間は通常反時計回りで運行される。

ループ区間

進行方向左側遠方に、まもなく到着するキュタフヤ駅が見通せる。

ループ区間の急カーブに入る。車体が長いヨーロッパ規格の車輌が急カーブを強調している。

キュタフヤ駅

キュタフヤ駅に到着。ホームの跨線橋はループ区間からも確認できたもの。